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2007年2月14日 (水)

スケバン刑事 高木政人先輩の遺言状

Takagisan
初代スケバン刑事と言えば、アイドルだった斉藤由貴さん、南野陽子さんが演じていたが、彼女達のスタントや、朝のコメディ番組「ペットントン」などの主役をやっていたのが、大野剣友会の高木政人さんだ。一つ上の高木先輩は小柄でその特徴を生かして、こまやかで基本に忠実なアクション、そして演技を得意とした。東映の大物プロデューサー平山亨さんをして、彼のスーツアクティングは天才的だと言わしめるほど、表情のない着ぐるみに喜怒哀楽を持たせていた。ペットントンは全く動けない卵のようなぬいぐるみだったが、高木先輩が中に入ると、悲しいシーンは悲しそうに見えるから不思議なものだ。 「スケバン刑事」では、斉藤由貴さんらの特徴をつかんで、女らしい動きでアクションシーンの吹き替えを演じていた。
高木先輩は、撮影で時間があくと、俺をセットの横に連れて行き、「おい、かかってこいよ。そうじゃねーだろ」など言って稽古をつけてくれた。食事に連れていってくれると、「お前はいいなあ。俺が剣友会に入った時は、若手が俺しかいなくて、皆にしごかれたんだぞ」と厳しい上下関係を教えてくれたが、俺らにはそんなことを強要せずに、気さくに接してくれた。よく替え歌で人を笑わしたり、憎めない悪戯をして現場を和ませてくれるお茶目な人だった。そんな高木先輩の口癖は「人間はいつか死ぬんだから、好きなことを思いっきりやってる方がいいぞ」だった。
 ある日、平山さんとミーティングをしている時だった。「高木くんが交通事故にあったそうだ」。すぐに病院に駆けつけると、頭に包帯をまいた高木先輩が、ベッドに横たわっていた。生命維持装置を付けて、呼吸をしている。
ショックだった。
長男だった俺は初めて兄貴が出来たような気がして、とても嬉しかったのに。岡田勝師匠も傍らにいて、俺は岡田さんによりかかり、泣いた。
 平山さんは、裏の演技で東映の番組に貢献した高木先輩のドキュメンタリーをつくりたいとTV局に働きかけてくれた。自分も8ミリをもって、お葬式を取るように頼まれた。高木先輩は結婚したばかりの20代前半。奥様は大きなお腹を抱えていた。それも映像として撮らなければならない。つらかったけれど、高木先輩の番組を作れるならと、一生懸命フィルムを回した。すると突然カメラが止まってしまった。岡田さんには「馬鹿やろう、早く直せ!」と言われたが、どうにもならない。今思えばそれも高木先輩のいたずらだったような気がする。お葬式の後、剣友会の事務所には「君の意思は僕たちが引き継ぐ・・」という誓いの言葉が立てられた。
 
あれからもう、20年がたっている。「好きなことを後悔しないように、思いっきりやれ!」 今も高木先輩はアクション馬鹿の心の中に生きている。
No pain, no gain!

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コメント

 当方のブログをご覧いただき、ありがとうございました。
 自分は所属事務所は違いましたが、高木さんには本当に親切にしていただきました。指導の厳しかった "昭和時代のアクション界" において、誰からも敬愛され、信頼されていたのが高木さんだったと思います。スバルビル前で「二枚目系はJAC、イカツイ系が俺ら(=剣友会)」と語っていた高木さんの笑顔は、今でもハッキリと覚えています。当時はJACから真田さんに続いて、黒崎さんが大ブレークしていましたから、「アクション、スタントを極めたいんじゃなくて、俳優になりたい連中ばかりだもんなぁ」とも……。
 「痛いのは稽古が足りないから!」「当てられたくなきゃ、かわせ、受けろ!」式の指導の良し悪しは別として、当時の仲間たちには "戦友" とも言える想いがありますね。

投稿: YASU | 2007年2月15日 (木) 01時52分

コメントありがとうございます。あの時の苦しくも楽しい思い出は絶対に忘れることはないっすよね!ヒーローを作り上げ、戦った時代は俺にとっても大きな誇りです。

投稿: MICHI | 2007年2月15日 (木) 09時44分

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