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2007年3月31日 (土)

刻々と近づくチャンス・・。-スーツアクターと言う言葉 その⑥

仮面ライダーの本当の正体を知った俺は中学生。新しい学校で迎えた同級生に、当時山口百恵、桜田淳子、森昌子主演映画「花の高2トリオ」などの脚本家で著名な才賀明(注1)氏のご子息がいた。この彼が才賀博之氏(注2)で、大河ドラマにも台詞ありで出演もしていて、芸達者な奴なのだ。彼が、あの頃高級品に入る8ミリカメラを持っていて、親友の寺田クンと

「8ミリで映画を撮ろう!」

と言い始め、その題材はあの、

柔道一直線(注3)!!

友達に柔道ができる奴がいて、ほとんど決まりかけていたが、その話を聞きつけた俺は、

「いや、仮面ライダーにしよう!」

「ええ!!できないよ。衣装とか仮面どうすんだよ?」

「俺が、つくる!」

Samuraistuntteam2 生身のライダーの正体を知った俺は、これは自分が映像の中でライダーになれるチャンス!と思い、思わず口走ってしまった。でも、つぎはぎフルフェイスマスクを作った経験から、何とかなると思い、バンダイの子会社、ポビー(注4)が販売していた、ライダーとV3のマスクを改造。衣装はジャージに発泡スチロールで作ったコンバーターラング(注5)とベルトを着けて完成させた。衣装を見た友人達は出来の良さに驚いて、やる気満々。ライダーアクションはもちろん見よう見まね。俺は、球技や50メーター走なんかはからっきしダメだったけれど、蹴りやらパンチやらはなぜか得意で、足も高く上がった。上がりゃ良いってもんじゃないのは、後年わかるようになるのだが・・・。

祖母が持っていた東京青梅市にある御岳山の別荘に泊り込みでの撮影。あたりは山に囲まれた川原で、正にライダーにでてくる地獄河原ってな様相だった。中学生にできる最大の努力をして映像上で夢の仮面ライダーになり、一本目が完成。それが友達の間で話題になり、クラスメートの父親が毎日新聞の記者をしていて毎日中学生新聞にデカデカと写真入りでとりあげられた。気を良くした俺らが、1年半の準備をして、今度作った作品が「ダブルライダーVSショッカー」。ダブルライダーが二人の怪人を倒すというストーリーで寺田くんは一号ライダー、俺が2号ライダーを演じ、才賀氏は怪人製作と怪人を演じる。監督、脚本、編集は俺が担当した。

 この作品が完成した段階で、弟が購読していた徳間書店TV雑誌「テレビランド」(注6)に、手製の着ぐるみライダーの写真を郵送した。これを見た編集部が面白がって取材にきて、会員だけに郵送している「仮面ライダー新聞」で大きく取り上げてくれた。その後、編集部から連絡があり

「編集長が興味があるって言ってるから、徳間書店で上映会やってくれない?」

雑誌社の編集部といえば、高校生としては憧れの場所だ。勇んで持っていくと、そこには山平松生編集長(注7)がいて、

「こりゃ、面白い!今スカイライダーの製作してるから、東映に持ってって、刺激与えて来い!」

俺達は、理解できずに

「はあ・・・?」

「仮面ライダー作ってる東映に持ってって見せに行くんだよ。お前らの8ミリライダー。プロデューサーの平山亨と阿部征二ってのがいるから、見せたらいい!」

「ええぇ!!」

俺の頭には、朝日ソノラマの「仮面ライダー総集版」でお二人の名前はインプット済みだったから、

「仮面ライダー作ってる人に会えるの?→撮影所にもいける?!→大野剣友会の人達にも会える!→マジかよ~!!」

頭の中は興奮で爆発しそうだった!

そして、本物の「仮面ライダー」の現場に、近づいていく・・。

To be continued

注1)         才賀企画という芸能プロダクションも持ち、大竹しのぶ、三宅裕二、川上麻衣子などを育てた。

注2)         劇団メガバックスの主宰、演出家。仮面ライダーの奇跡の復活と言われる舞台「戦闘員日記」の脚本家。この芝居は大野剣友会の岡田勝師匠が演出。平山亨プロデューサーが監修し、出演は一文字隼人を演じた佐々木剛氏、ドクトルGの千羽丈太郎がその役を演じて話題となった。ちなみに俺は、第2弾からエグゼクティブプロで参加している。

注3)         桜木健一主演、ガールフレンドに吉沢京子。そして桜木を扱く師匠に先ほど亡くなられた高松英郎が出演。技闘は大野剣友会!プロデューサーは「仮面ライダー」の平山亨氏だった。この作品の中で桜木氏は、仮面ライダー2号、一文字隼人の変身ポーズで構えで闘っている。この型は、剣友会2代目殺陣師、高橋一俊氏が二刀流をイメージして作ったもの。変身ポーズの原型は「柔道一直線」で完成していた!!ちなみに原作は、劇画界の巨匠、梶原一騎で、元は東京ムービーがアニメ企画として獲得していた。

注4)         キャラクタービジネスで、大成功を収めたバンダイの子会社。後に会長にまで上り詰めた杉浦幸昌氏が社長を務めた。変身ベルト、マジンガーZの巨大人形、ジャンボマシンダー、超合金を開発し、ヒーローブームを側面から支えた。

注5)         コンバーターラングとは、仮面ライダーの胸についている、板上の物。原作者の石ノ森章太郎先生はバッタの胸筋をデザイン化したものだが、当時その造形物を見た現場は、ダンボールをくっつけたみたいじゃんっと、不評だったそうだ。

注6)         70年代を中心に、講談社のテレビマガジン、小学館のてれびくん、徳間書店のテレビランドがTVキャラ雑誌としてしのぎを削っていた。97年に廃刊。

注7)         山平氏は東映側と深いパイプを持っていた。当時、仮面ライダーは「スカイライダー」放映の真っ只中。視聴率が今ひとつ振るわなかったこともあり、高校生の俺らが仮面ライダーを8ミリで製作していることに感心して、この業界に導いてくれた。

No pain, on gain!

 

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2007年3月30日 (金)

仮面の下のスター!-スーツアクターと言う言葉 その⑤

いつもTVに出てくる、大野剣友会の名前。それってなんだろう。其の謎は1978年、(昭和53年)朝日ソノラマから出版された仮面ライダー初のオフィシャルメイキングムック「ファンタステックコレクション No.9-仮面ライダー総集版」(全66ページ)で明らかになる。

そこには、仮面ライダーの企画の成り立ちから、玩具、レコード、放映リストなどが掲載されていた。そして目を引いたのが、「仮面の下の功労者たち」という見開きページに

仮面の下のスター、大野剣友会の功績も大きい

と記事になって、中屋敷哲也先輩のV3姿、顔を出してのトランポリン練習風景が白黒写真で掲載されていた。其の時に本当の仮面ライダーの姿を知った。

仮面ライダーになってるのは、大野剣友会の人達なんだ!!

仮面ライダーの華麗なる技、立ち居振る舞い。それは大野幸太郎率いる大野剣友会が担当しているのがわかった。記事には、“仮面の下のスター”と表記されていたが、俺は

何言ってんだよ、この人達がスターじゃん!

っと勝手に決めてしまった。

え、ヨロイ元帥(注1)も大野剣友会の人がやってんだ。すっげ~。

俺が入門当時は、もう引退なされていたが、大野剣友会のトップアクション俳優、中村文弥先輩(注2)が演じていた。

もしかしたら、自分も仮面ライダーになれるかもしれない!

中学生に成り立ての俺は、生身の仮面ライダーの正体を知るに至り、そう思い込み、其の機会はすぐやってきた・・・。

No pain, on gain!

注1)仮面ライダーV3の後半に登場する、最強幹部。顔も目と下半分が露出。声も中村先輩が演じたライダーマンの宿敵。其の低い声質と、憎々しい演技が得意のアクションとあいまって、子供達の憎悪をかった。ちなみに、中村先輩は夏夕介主演「突撃ヒューマン」の顔出し主演も決まっていたが、ライダーの裏番組であることもあって、断ってしまう。ああ、残念!あの松田優作もオーディションに来ていたそうだ・・。

注2)イナズマン、超人バロム1、変身忍者嵐、仮面ライダー2号のアクションを演じた大野剣友会の3羽ガラスの1人。当時は岡田勝、中屋敷哲也、中村文弥諸先輩が大野剣友会3羽ガラスと呼ばれた。キカイダーもやるはずだったが、スケジュールが合わず断念し、三島剣友会が担当。宇宙刑事ギャバンの素面を演じた元JAC(現JAE)の大葉健二氏もキカイダーを演じている。

 

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2007年3月29日 (木)

仮面ライダーを演じているのは誰?!- スーツアクターと言う言葉シリーズ④

幼稚園、小学校の頃、体も小さく、走ればビリっけつの運動神経“0”、勉強もまあまあの俺は、幼いながらもコンプレックスを感じていた。

 背の準に並べばいつも一番前で、手を腰に置く役。それがいつもいやだった。そんな時にTVのブラウン管から現れた異形の等身大ヒーロー、それが35年前に始まった「仮面ライダー」だった。変身ポーズをとる事で、ヒーローになり、空高く飛んで悪い奴をやっつける!それを見た俺は、変身して戦うヒーローの姿に釘付けになった。変身ポーズをすれば、強くなれるかもしれない!

仮面ライダーになりたい!

心の底からそう願い、変身ベルトとマフラー、出店のお面を被って、“仮面ライダー”になって飛び回って遊んだ。世の男の子は、皆“仮面ライダー”になって、ライダーキックをしていた時代。俺も其の1人だったが、出店で売ってるお面では飽き足らなかった。

頭でてるじゃん!

屋台のお面は頭の後ろが開いていて、フルフェイスじゃないのだ。そこで小学生低学年だった俺は、頭全体を覆う紙製の仮面ライダーマスクを作った。それでも飽き足らず、友達を集めて小学校の学芸会で“仮面ライダーショー”をやるに至る。手製のつぎはぎマスクで、たわいのない子供の“仮面ライダーショー”にも、限られた視界のアクションショーの感触が確かにあった。

 TVの仮面ライダーはV3から、Xに様変わり。

俺の一号、二号は出てないじゃん!

「仮面ライダーX」第一話を見て、前のライダーとは関係のない世界観にガッカリし、同世代の子供同様に子供番組を卒業していく。しかし、親友だった寺田くん(注1)の「仮面ライダーストロンガーに一号、二号が出るぜ!」って言葉に、

ええっっ!!

と驚いた俺は、最終回に近づく「仮面ライダーストロンガー」を見て、小学校低学年の原体験が蘇り、仮面ライダーにハマってしまう。そして、戦隊シリーズの第一作目「秘密戦隊ゴレンジャー」に流れていくのだが、これが当時は画期的なアクションで、5色の戦士がそれぞれ個性豊かなアクションポーズを持ち、最後に並んで決めポーズ。

カッコいい~!

っと純粋に思った。小学校6年生にもなれば、周りの友達は「くだらない!」の一言でこの手の番組は卒業していたが、俺はこの世界の"何か”を汲み取っていた。小学6年生といえば、物事の判別もつく頃で、ふとオープニングにいつも出てくる

大野剣友会

ってなんだ??っと思ってもいた。役名もついてないのに、クレジットされている人達。当時はインターネットも特撮専門誌もなかったから、なんだかわからない。でも子供ながら、「剣ってかいてあるから、アクションしてるのかな・・・」ぐらいの認識だった。俺は東京に住んでいたから後楽園遊園地の“仮面ライダーショー”によく連れて行ってもらった。その野外ステージの看板にも

出演、大野剣友会

と書かれている。

出演、出演て・・・?

そして、其の謎は1978年、(昭和53年)朝日ソノラマから出版された仮面ライダー初のオフィシャルメイキングムック「ファンタステックコレクション No.9-仮面ライダー総集版」(全66ページ)で明らかになる。

(To be continued)

No pain, on gain!

注1)寺田クンは大野剣友会にも入門し、現在DJでも活躍中のこと。

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2007年3月28日 (水)

「絶対見返してやる!」 スーツアクターという言葉 その3

大野剣友会に入って、1年ぐらい過ぎた頃だろうか。先輩が撮影の合間にADを殴ったというのだ。その理由とは

「お前らの仕事は、ぬいぐるみを着るしかないよ~な仕事だよな!」

と言われたという。結局、その先輩は休業し、剣友会をやめることになった。この時に思ったのは

「どうして俺らって、こうも認められないんだろう・・・」

ということだ。 当時はライダーや戦隊の仕事を説明すると

「ああ、ショッカーの中に入ってる人ね。イー!ってヤツか。」

とか

「あれって、バイトの人とかエキストラがやってんじゃないの??」

って言われて、苦しい思いの連続だった。

「違うんだよ。面の下の仕事は、演技法の一つで、俳優業の中の一つなんだ!」

と、声高にいっても誰も見向きもしてくれない。仮面の中で、汗まみれになり、トランポリンを踏んで飛び上がり、蹴られて吹っ飛んで、台詞も覚えて演技もしているのに、

「どうしてなんだ!!」

って、いつも思っていた。仮面ライダー、戦隊、ウルトラ自体がジャリ番と言われて、その存在自体、世間では大したことないって思われてた四半世紀前の時代に、俺らは

“怪獣の中に入ってる人”

というくくりで、エキストラ同然の認識でだった。

 でも、少なくとも俺は、

「いつか、いつか見返してやる!」(炎上!!)

って思ってた。思えば、それが、俺自身の存在価値を賭けた、アクション俳優としての戦いの始まりだった。

To be continued

No pain, on gain!

 

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スーツアクターという言葉。シリーズその2

俺は、ブログを始めてから、ミクシーを初めることになったのだが、その流れからアクション俳優、いわいるスーツアクターのファンが物凄く多くことを知りました。(2月23、26日のブログを参照下さい。)そして、まさに昨日、この言葉に対して面(メン)を着けて演じ続ける一線の人達が、あまり好んでいないということを知り、自分が受けた屈辱やらそれを跳ね返すための信念が蘇りました。

 あまりにも深い話になってしまうので、一般の人にはつまらない話かもしれん。でも、やはり書いておかなければ、なぜ面をつけて命がけで働く俺達の仕事が、理解できないと思い、この話をシリーズで話しておこうと思う。

 俺達の存在意義に関わってくる問題なので、是非読み続けてほしいと思います。例え誰も読まなかろうが、やはり主張すべきことはすべきなので、自分のスタンスをはっきりさせて、このシリーズを始めるつもりです。

 俺はスーツアクターという言葉は、正解ではなく、その技法、スーツアクティングが正しい言葉だと思う。従って、俺はやっぱりアクション俳優、ないし俳優が一番フィットする。それが、逆に面を着けて演じてきた我々の誇りだ!

No pain, on gain!

 

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2007年3月26日 (月)

見よ、ライダーキックの本当の威力!

ライダ~あああああ、キック!!

誰でも聞いたことのあるこの掛け声。仮面ライダーが怪人をやっつけるキメ技だけど、現在放映中のライダーは合成で処理している。

 しかし、昭和の頃のライダーはミニトランポリン(注1)や、大トラ(注2)を使って跳んだ後、怪人に思いっきり当てていた。かく言う俺も、米版ライダーやビーファイターをやっていた時は、実際に跳んで当てるライダーキック方式も採用した。

 子供番組だからと思って、大したことないといったら大間違い。特殊な技術を使わずに、あのキックが当たったら、人間が5メーター以上ぶっとぶ威力がある。

 ライダーキックの撮り方は、ライダー役のスーツアクターがミニトランポリンに走り込み、高く飛んで怪人の胸板めがけて、急降下して足を当てるのだ。この当てるというのが特殊なテクニックで、ジャンプした後、重力を下に向けて、足をうまく胸に当て込む。更に、自分の体を真下のマットに落とすようにバランスを取ってマットに落ちるようにする。そのため、怪人役スーツアクターへのキックのパワーが半減する訳だ。

 一度、アメリカ人のスタントマンが、「俺ならできる!」と胸を張ってトランポリンに走り込んだら、勢いを乗せたままキックして、当たる側のスタントマンをぶっ飛ばして偉いことになった。考えても見てください。体重60キロの人間が、全速力で走ってトランポリンを使って蹴り込んだら、横Gは半端じゃありません。

やっぱりライダーキックは破壊力抜群なのだ!

P.S.良い子の皆さんは絶対真似しないように!!

注1)         俺らは、いつもミニトラと呼ぶ半径1メーターぐらいの円形トランポリン。あらゆる場面の跳び技シーンに使ってます。二人で運べる機動性がなんといっても強みなのです。

注2)         一般的に知られる四角いおっきなトランポリンのこと。高々と回ったりするシーンの時に使ってました。

 

No pain, on gain!

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2007年3月25日 (日)

あっけない、コマーシャル出演、でも・・・○×△。

1月に撮影された、ウエンディーズのコマーシャルが全米放映されている。俺の役はマーシャルアーツの先生で、ハンバーガーを持って、ニッコリという役柄。見てみると2秒ぐらいのシーンでマーシャルアーツの生徒と並んで、カメラがスローズームという感じだ。

 見りゃ、全然ど~ってことないのだが、ココまで来るのにものすごい競争率なのだ。所属するプロダクションがキャスティングディレクターにインフォをネットで送り、写真と経歴(レジメ)で振り落とされ、その後、ファーストオーディション。それに受かってセカンドオーディション。サードオーディションを経て、やっと出演となる。

 とにかくハリウッドってとこは、俺みたいな奴も含めて世界中から、あらゆるタレントがやってくる。その中から様々な振り落としがあって、たった1人がオーディション合格となる。かといって出たシーンは大したことない。

 但し、日本と違ってハリウッドは俳優組合(スクリーン・アクターズ・ギルド通称、サグ)があって、事細かに支払いが決まっている。衣装合わせ何時間でいくらいくら、撮影時間は8時間を過ぎたら1時間ごとに超過料金いくら。更に全米のどの場所で、どのくらいの期間放映されていくらとか、細かい料金規定がある。それこそ数時間の労働時間でかなりのギャラになる。ちなみに、このサグに加盟するのもそれなりの努力が必要だ。

 そんな訳で、まあそれなりにいいかなあって感じである。俺が合格するのはいつも格闘系の物ばかりで、去年はフォードのコマーシャルにも受かったのだが、なんと相撲取りだった。190センチ200キロ級の相撲取りを165センチ、60キロの筋肉質の俺が倒すという役だった。まあ、人に見られる仕事というのは、自らを戒めるためには良いと思う。見た目が衰えていては、アクションも武芸空手も何もない。俺の仕事は体が衰えたら、即引退という仕事だから。

 ちなみに、アクセスが3000を超えました。楽しんで貰えれば幸いです!

No pain, on gain!

 

 

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2007年3月24日 (土)

私の正体、それはミラーマン!

ロスにある図書館で、9年前の日本の語のエッセイを読んだ。それは、女優の壇ふみさんとエッセイストの阿川佐和子さんの「ああ言えばこう食う」(集英社)だ。

 そこに面白いことが書いてあって、「飽食時代の現代で魅力的な体は痩せている事。一方、戦国時代の魅力的な体は豊満な体であること」と出ていた。理屈はこうだ。

 現代は何でも食べられるからこそ、自己管理をし、綺麗な体系を保つことが美しいこと。逆に生きるのにも大変な戦中前後の時代では、ぽっちゃりと豊かな体が、豊かな物を食べられるというステイタスの証拠で、美しいそうだ。自分のことを考えると、40越えても体重、体型とも20代とほとんど変わらない。その理由はいくつかあって筋トレ、ランニングを週二回。仕事として、武芸空手クラスをこなす日々。酒、タバコは一切やらない。体質的なこともあるだろう。

 「そりゃ~、体重増えないよなああ~」と言うでしょう。でももう一つ、誰にも明かしていない秘密があるのです。驚かないで下さい・・。実は、私の正体は・・・

ジャ~ン、ミラーマンなのだ!

「ええっ!お前は宇宙人か??!」っと驚いたかもしれませんが、いえいえ私は地球人です。でも一般の地球人との違いは、ミラーが友達なのだ。朝起きて、着替える前に鏡の前で「お、この筋肉が落ちてる、ヤバイ!」と体型チェック。ウエイトトレーニングが終わった後、鏡の前に行き、筋肉チェック。夜シャワーを浴びた後も鏡に向かって前蹴り!その後、開脚、柔軟体操をしてやっと寝る。「なんだ、こいつ、Bakaなナルじゃん!」と言わず、最後まで読んでください。

 

 思えば、私は熱狂的なアントニオ猪木ファンで、肉弾相打つプロレスが大好きだったのだ。ムキムキの筋肉は苦手だけれど、柔軟性があり躍動する格闘カラダに美を感じてしまうのだ。

 「やっぱこいつは、Bakaなナルでホモセクシャルじゃん!」と言わないで下さい。つまり、言いたいことは、ミラーマンになることで、自分の体と向き合って、健康チェックを忘れないということなのだ。俺の場合はビタミン剤は欠かせないし、ちょっと体調が悪くなると、すぐにドクターに駆け込む。こんな俺をかみさんは、「ほんとに、ナルちゃんでお医者さん大好きなんだから!」と覚めた目で見ている。

「違うのだ、体型を保つというのは健康のバロメーターだし、気合いを入れてるのだ!もし気を抜いたら、心身共に衰えて、ダメになってしまうのだ!」

 しかし、自分がミラーマンのお陰で、中年というのにバック転も、空中前宙も未だに自由自在!(多少息は切れるが・・・)。

 このブログを読んでいる体型の気になる貴方!さあ、一緒にミラーマンして、新しい健康体を手に入れよう!!

 

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2007年3月23日 (金)

ヒーロー像は変わった!仮面ライダー電王

仮面ライダー雷王を見た。俺、腰抜かしました。あんなヨワッっちい男の子が、平和を守るなんて・・。っといったら、世の若いママにぶっ殺されるとほど、日本では人気があるそうだ。オモチャの売れ行きもいい、視聴率も高い。

 でも、まてよ、今のスパイダーマンだってヨワッっちいじゃん・・・!?

そう、時代は変わったのだ。

俺たち60年、70年代生まれのヒーローは、女の子に頼っちゃいけないし、ましてや恋なんてとんでもない!女の子は守られる役と相場が決まってた。でも今は、男も女も平等、いや男も女に頼らなきゃ生きていけないのを表に出してこそ、「カワいい人!」っと思われて、「強がってても、私にだけ本音を見せて、フラっときちゃう」って感じなんだろう。俺達が、ヒーローに憧れた姿は、

木枯らし吹き荒れる、ひょうしょうと・・・。独りゆく、独りゆく、仮面ん~ライダ~あああっ・・・

だったんだよなあ。

 仮面ライダーV3を演じた俳優の宮内洋さんが

「孤独で、武器を使わない!これがライダーだ!」

っと言ってた。うん、独りゆくのが男のかっちょよさだった。たった一人で闘うライダーの姿を見て、惚れたんだけど、今の時代はリアリティがないんだろうね。アクションも跳んでる時間の方が長いって印象だし。身近で新しいライダーも素晴らしいけど、そうだ!今度はターミネーター系の屈強で、クールなライダーが見てみたいと。それってありだよね。

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2007年3月22日 (木)

メチャもて! 唐沢寿明さんのライダーマン

仮面ライダーショーで、ライダーを演じた有名日本人俳優はかなりいる。風間杜夫さんも其の1人だけど、俺が一緒に仕事をしたのは唐沢寿明さんだ。

 唐沢さんは、当時東映の主宰する東映アクションにいて、直接の先輩ではなかったんだけど、師匠の岡田勝さんが、好んで彼を使っていた。其の役は、顔が半分出るライダーマンなのだ。唐沢さんは男の俺が見ても、顔立ちが綺麗で、甘いマスク。アクションの動きは軽い感じで大野剣友会とは毛色が違ったけど、若々しさはあった記憶がある。

 彼の2枚目っぷりに驚いたことが一つ。唐沢さんがライダーマンを演じた後、握手会がって子供がずらっと並ぶのだが、中にはマニアの大人がいたりもする。其の中に女の子がいて、唐沢ライダーマンを見るやいなや

「あの、大ファンになりました、握手してください!」

と言っていたのだ。俺はたまたま2号ライダーを着ていて、その隣にいたのだが、

「ひえ~!唐沢さんは顔の下半分しかでてないのに、それでも、それでももてるのかあ!!

っと、すっごい驚いたんだ!だって、顔の下半分だけしかでてないんだぜ!それなのに女の子がよってくる!其の位の美貌(?)の持ち主だったから、ちょっとここでは書けない女性の口説き方も伝授してもらったこともある。でも、全然柄じゃないからやめたけど。というより唐沢の様な美貌はないからっていうのが、大きいのだが・・・。

 その後唐沢さんは、ホリプロから、研音の事務所に所属して有名俳優になった。もう25年も前の話で、本当に月日の立つのは早いものだ・・。

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2007年3月21日 (水)

晴れたLAで、決意するサムライアクションのビバリーヒルズ進出、もとい全世界進出!

やっと晴れましたLAの空。雨があがったので、スモッグもなくなって、とっても綺麗な日なのだ。なんせLAは車社会だから、空気はあまり綺麗じゃないから、雨の後はスモッグが落ちてすっきりする。

Street

 月末に入ったので、今日は家にこもって事務処理。主宰する武芸カラテ&アクションスクール、サムライカラテは毎年5月にサムライフェストといって、生徒達の発表会があるので、その準備が忙しい。今週末には、ピクチャーデイ。(英語で言うとカッコいいが、要するに学校の撮影会だ)更に、サムライ・カラテをビバリーヒルズでも開校するために、その準備もあってかなり忙しい。

ちなみにサムライ・カラテとサムライアクションの違いを説明すると、サムライ・カラテは、大野剣友会のカラテ、殺陣の型を使った、武芸空手と剣の技術修練。サムライアクションは完全なるパフォーマンスチームという棲み分けなのだ。

これまで、ハリウッドのダンサーやら俳優が、サムライアクションを習いたいと行ってきても、場所がハリウッドから40分ほどかかり、車がこむと1時間半となるために、断念されていたのだが、もっと交通の便がいい所だと、彼らにサムライアクションを啓蒙できて、とっても嬉しいのだ。

 現在は幼年部が充実してきているので、今は青年部をしっかりと打ちたてるつもりで、5年以内に200人ぐらいで武芸アクションを固めるのが目標だ。

ちょっと想像してください、青い目のサムライ達が(別に黒くても赤くてもいいのだが、あくまでイメージさ!)、モダンなサムライの衣装で武芸アクションをする姿を!! 鳥のように舞いながら、殺陣アクションをするのだ!全米公演もいい、ラスベガス公演もいい!いや日本公演もありだ、まてよ・・

世界公演もありじゃんか!!

 これは超カッコいいぜ!そんなことを夢見て、晴れたLAの空を見つめる、俺は幸せ者かもしれん!

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2007年3月20日 (火)

仮面ライダーを作った効果音の魔術師、太田克己さん

今週の木曜までLAは雨だそうで、今日も昼頃かなり激しい雨になった。空は雲に覆われて、暗いのだ。ウルトラマンのごとく太陽エネルギーが大好きな俺は、どんより天気に、

「暗くなる~」

と思い、最近ハマっている倖田來未さんのバタフライを聞いて元気をだしてます。LAは2月によく雨が降るが、もう3月も下旬なのに雨なのは、ちょっと不思議な感じだ。

 いつもヲタな話をしているが、今日は更に深い効果音の話をしようと思う。映像には日常にはない音が使われているけれど、仮面ライダーのようなファンタジー物はもっと激しく使われる。ライダーなんかは、

「キ~ン、ドギャ~ン!」

なんていう変身音とか

「ドゴアゥアアアアア~」

みたいなライダーらしい派手な殴り音が使われてて、当時其の音が超カッコよかったんだよね。音聞いただけで、強そ~みたいな。それを作っている方が映広音響の太田克巳さんという人で、ライダーの自主映画を作っていた時に、プロデューサーの平山亨さんに紹介してもらった。俺は自主映画の「仮面ライダー」にどうしても同じサウンドエフェクト(昔は効果音っていったなあ)を使いたくて、太田さんのところに尋ねていった。すると思いっきり職人って感じのノリの作業着姿で登場し、作りかけの8ミリライダー作品を見てくれて、

「仮面ライダーの効果音、下さい!!」

と大胆に頼むと

「8ミリに入れるのは無理だと思うけど、作品面白かったから特別だぞ」

と、その効果音を分けてくれたのだ!今から25年も前だから、版権とかあんまりうるさくない時代だったからありえたんだと思う。貰った後は、殴る音やら蹴る音の一つ一つを8ミリフィルムのBトラックに入れて合わせて、更に2重録音で音楽を重ねるというモノクロ時代だったんだよね。ちなみに音声はAトラックだったかなあ。一生懸命一コマずつ映写機をずらして入れていった。あれで、オリジナルの8ミリフィルムもかなり痛んだ。

今のデジタル時代の子供達はマジ羨ましいと思う。映像も編集もPCで自由自在だもんなあ。それで劣化0だから、凄いよね。

10年前に東映ヒーローのパーティでお会いした時に、ハリウッドの「仮面ライダー」を担当してると言ったら、目を細めて「よかったなあ」と、言ってくれてもっと東映ヒーローが世界に広がるようにと願っていた。当時から、爆発なんかが派手になっていくのに危惧していて、「もっと生身の部分でヒーローは演じられるべきじゃない」と、言っていた。くしくも今のCGI時代への提言かもしれない。其の時にライダーの全盛期を作った折田至監督ともご一緒させてもらい、「ヒーローは逞しくなくっちゃいけない」ともおっしゃっていた。お二人とも、ないないづくしで始まったライダーを、生身の体だけで作っていた人達。その言葉には色んな含みがあると思う。折田監督は、昨年9月に亡くなられてとても残念に思うけれど、当時の熱い思い出は俺たちの世代の中で完璧に生きてます。

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2007年3月19日 (月)

アイリッシュの夜は、リラックスと驚き

今日もLAは雨で、どんよりの天気。日本だったら当たり前だけど、ここでは、ちょっと気がめいる感じがしちゃうのだ。環境って恐ろしい。

 そんな訳で、日曜日はSt.パトリックスデーで、仮面ライダーやパワーレンジャーのプロデューサーだった、ボブのパーティに行ってきた。彼と奥様はアイリッシュで、毎年大きなパーティを自宅で開く。伝統のアイリッシュ音楽を吹く演奏家を招いて、娘さんがアイリッシュダンスを踊ったりしてくれる。家も頑張って緑の服を着ていったりして、2番目の娘は緑のクローバーのバッジをしていった。リラックスするケルトの音楽は、ボウランというパーカッションとアイルランドパイプで奏でられていて、癒しの女王、エンヤもアイリッシュだし、なんとビートルズも血筋はアイリッシュなのだそうだ。Irish_1 ボウランをたたく、オーク氏は、マドンナのバックも勤めた一流ドラマーで、今はベテランADだ。其の他、一年に一度しか合わないディレクターやスタッフにあって、昔の話や現在の仕事話に花が咲く。その中で、

「え~!!」

っっと驚く情報もあって、いやはや焦ってします。パーティで流れる噂話は、結構信憑性があって、お酒も入ってあからさまになっちゃったりするみたいだね。

 また、一緒に仕事ができればいいなと思った楽しい夜だった。

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2007年3月18日 (日)

大野剣友会のライダーアクションは古い?いや、新しいぞ!

LAは、雨で珍しく曇り空。ちょっと気分が暗くなりがちですが、ちょっと買い物にワイフと日系マーケットに出かけたのだ。その中に、日系書店が入っているのでうろうろすると、やっぱり目につく、ウルトラ&ライダー関係。すると「東映ヒーローMAX」という東映ヒーローの雑誌が出ていた。(知らなくてスマンです)

中を開くとアイドルと化した東映ヒーローの主人公達がでてましたね。今や特撮ヒーロー物は、若手俳優の登竜門だそうで、可愛い男の子やら女の子やらが載っている。一号ライダー藤岡弘さんやら二号ライダー一文字隼人の佐々木剛さん当時は、もっと大人びた濃い系の立ち居振る舞いだったのが、全然ちがうんだよな~。なんせ、ライダーが女性に頼るなんて

「とんでもない!!」

藤岡さんとV3の宮内洋さんが言ってた。(俺的には同感・・・)。それはともあれ、漫画「仮面ライダー・SPRITS」を書く、村枝賢一氏が元大野剣友会で現在はレッド・アクションの上田弘司先輩がインタビューを受けていた。もう8年も日本に帰ってないので、ご無沙汰していていて申し訳なく思ってますが、元気そうで嬉しかった。上田先輩は、スカイライダーやスーパー1の頃に怪人を演じ、ヒーローV3も演じていた。日体大出身らしく、得意の体操テクニックを使っての切れの良いアクションだった。前に新宿でのヒーローフェストのステージで、兄弟のヒーロー「バイクロッサー」と言うのがあったが、上田さんと亡くなった高木政人先輩でヒーローを演じていて、お二人とも大柄ではない体を充分に生かして、そのアクションはマジ・・・、

鳥のように華麗でした。

回し蹴りを使った円を描くアクションが、印象に残っている。改めて思うけれど、俺の青春時代は凄まじいアクションの先輩に囲まれて幸せだったと思う。全員が日本の第一線で活躍したアクション俳優ばかり。そのアクションをバックグランドに、アメリカで生きていけるのは本当に大野剣友会の先輩のお陰で、ありがたいことだ。今のアクションを見ると、それはそれでかっこいいのだけれど、CGIが発達した分、説得力にイマイチかける。

 剣友会の殺陣を古いという人もいるけれど、その古い殺陣の中に凄いリアリティがあるような気がするのだ。CGIのない生身の激闘こそ、

闘いの原点だ!!

古い生身の部分に光を当てて、新しいアクションの再現を俺は真剣に夢見ている。リバイバル物だって現代風にすれば当たるじゃないか。生身のニューアクションで頑張るぞ!っと決意を新たにした上田先輩のインタビューでした。

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2007年3月17日 (土)

今日はワクワクのハリウッドパーティ!

今日のLAは晴れでセント・パトリックスデイです。アイルランドにキリスト教を広めた聖人聖パトリックの命日(知識の受け売りですまんw)で、朝から晩までサムライクラスです。夜は「Masked Rider」のプロデューサーで、「パワーレンジャー」の監督もしていた、ロバート・ヒューズさんのパーティなのだ。ボブ(ロバートの愛称)は、アイリッシュなのでST・パトリックスデイを毎年祝い、2、300人の招待客で一杯になる。皆、緑色の服をきて現れるのだ。娘さんが、生演奏とともにアイリッシュダンスを披露してくれるし、懐かしいライダーの監督や、スタッフにも会えるので、毎年とても楽しみなのだ。こんな時に仕事の情報とかを、得られたりするから、それもまたいい。要するに俗に言うハリウッドパーティですね。そんな訳で、また面白い話ことがあると思うので、今日はちょっと、ブレイクです~!それでは、いざ出陣。

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2007年3月16日 (金)

どこでもドアがほしい!

最近、エージェントから、新しいヒップホップやダンス、更に独創的な踊り系のものがあれば、絶対オーディションに参加しろとやたらにくるのだ。自分の作っているアクションが、納得できる質にあがってないので、どうにも参加できないのがじれったい。早く考えているアクションを持っていきたい!!簡単に日本からメンバーを呼べればいいが、交通費は半端じゃないし、一緒にトレーニングができないしで、こんなときドラえもんの

「どこでもドア!」

があればと悔しいやら落ち込むやら・・・。

でも、ちょっと外にでると、家の前に咲いたコスモスがピンクの花が咲いているのに、白の花も同時に咲くという離れ業!

Photo_4

「すっげーなああ」

そろそろLAにも春がやってきます。

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2007年3月15日 (木)

50メートルの煙突を片手で登る。「仮面ライダーV3」縁の下の、下の力持ち!上田弘司先輩

TV「仮面ライダーV3」で、大野剣友会の中屋敷哲也先輩が、川崎市営斎場の煙突に登り、コスチュームを着たまま命綱なしで、見栄を切ってジャンプポーズ!これはもう有名な話だ。煙突の高さはなんと

50メートル!!

だもん。でも、ここでもう一つ、命賭けの秘話がある。重いV3のマスクを左手に持って、

50メートル!!

の煙突を片手で登った上田弘司先輩だ。ちょっと説明すると、スーツアクターの世界には面持ち(注1)という役割がある。面(注2)の中に入る俳優だけでは、コスチュームは装着できないので、陰日向と付いて、衣装の着替えや管理をする人がいる。この人を面持ちと言うのだが、当時、中屋敷先輩のお付が、スケバン刑事の殺陣師などをした上田弘司先輩(注3)だった。

 考えてみると、スーツアクターはウルトラマンじゃないから、煙突の上には、パッといけない訳で、てっぺんまで行くのには、はしごを「エッチラ、オッチラ」と登らなきゃいけない訳だよね。まず、中屋敷先輩が衣装を着て、空恐ろしい高さ

50メートル!!

の煙突を登る訳だ。其の時にV3の仮面は被ってないから、当然面持ちの上田先輩が後からはしごを登る。でも面持ちは片手に面を引っ掛けて登る訳で、自由な片手と不自由な片手で長く高いはしごを登らなきゃいけないのだ!!

「考えたら、すっごい!」

なんせ高さはしつこいようだが50メートル!!

「高くなればなるほど、腕が疲れてきて、面が重く感じるし、下に落ちたら絶対死ぬし、ほんと、死にそうだった~」

と上田先輩。其の上、煙突に着いたら着いたで、V3の仮面を中屋敷さんに被せて、安全を考えて、足首を持っていたそうだ。あんま役に立たなそうだけど・・・。

撮影が終わってホッとして、上田先輩は中屋敷先輩のV3の面をはずし、それを持ってまたハシゴを下がんなきゃいけないのだ!当たり前だけど・・・。

50メートル!!

だぜ~。今考えると本当にすっげ~人たちだったんだなあと、笑っちゃいけないけど、笑っちゃうぐらいすごいよなあ。今だったら許されないし、メイキングだけで30分番組ができる!!あがったフィルムを見るとほんと高そうで凄いんだこれが。

まさにNo pain, no gain!

上田先輩、会いたいっす!

注1)         メンモチと読みます

注2)         メンといいます。ちなみに衣装の入っている縦長の袋をズタ袋と呼んでいました。今はどうなんだろう・・。

注3)         上田先輩は日本大学出身で、トランポリンがうまく、仮面ライダーのトランポリンアクションを全てやってます。特にスワンと言われるバック宙は綺麗すぎ!

PS)アメリカで「トリビアの泉」がやっていて、ビルとビルの間を走るのは、どんな職業が一番速いかを競っていた。そこに元JACの柴原考典さんが出演していて、走る前に昔ご本人が演じていた宇宙刑事シャイダーのポーズ!途中で落下の失格だったけど、メチャ癒されました。お疲れ様でした~!!

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2007年3月14日 (水)

アメリカンに教わる、俺達日本人の良さ!

 大野剣友会で学んだアクションと、ハリウッドの経験を生かして、サムライアクションというアクション団体を作ったのが4年前。昨年末ハリウッドのエージェンシー(芸能プロダクション)に売り込んだら、即、所属できたのは、前に書いたと思う。マドンナのダンスの振り付け師や、ナイキやらマクドナルドなどのクライアントを持つ、ハリウッドで一、二を争うエージェントだったから、オーディションに受かった訳じゃないのに、

「自分のやってることは、間違ってない!」

と、喜んだ。確かにエージェントに引っかかるのも難しいから、其の点では、恵まれてるよね。いさんでエージェントの面接にいくと、俺の方もアイディアをだして、

「ヒップホップの衣装で、アジアンアクションしたらいいんじゃないっすか?」

と、アメリカ流行ファッション+日本のアクションを合わせた団体にしたいと、ホットなアイディアを出したつもりでいたら、

「ノー、ノウゥ!それよりも、典型的な日本的衣装の方がいいのよ!!」

と金髪、ブルーアイズのおきゃんなエージェント(注1)、ブルックちゃん(注2)は、言うのだった。

「其の方が、売りやすいから~」

「Really??(マジっすか??)」

「Oh , Yeah~!」

ブルックいわく、美しい着物とか、忍者とかの衣装で華麗に舞うアクションこそが神秘的なのだと言うのだ。俺としては、そっちの方が、当たり前で 「奇抜じゃないなああっ」 と思うけれど。
でもちょっと考え直してみると・・・。そうそう、いつも西洋人と話して思うことは、どうも彼らはアジアの文化に不思議な畏敬の念を感じるふうなんだよね。西洋文化にはない思慮高さとか、折り目正しさとか、わびさびとか・・・。それが、ミステリアスであるようなのだ。だから彼らは京都の塔やら日本庭園を見ると

「オゥ、ふぁびらすネ~」

と感激する。今回の話でも日本人の俺的には、GパンとTシャツで刀アクションのクールなジャパニーズアクションがいいんじゃないかと思ったが、それは日本人の視点で珍しいだけで、西洋の目からしたら、神秘の部分が抜けて想像力が掻き立てられないのだ。
2000年に公開されたチョー・ヨン・ファの「グリーン・デスティニー」は、日本では当たらなかったけれど、アメリカでは、芸術作品として受け入れられた。あれより前にユン・ピョウ主演「天空の剣」とか、あの手の香港映画は山ほどあって、アメリカ人の反応に首を傾げた。しかしそれは俺達が元々持ってる神秘的部分を見失って、逆に西洋人が掘り起こして光を当てるという、逆転現象がおきてる。奴らと話すと日本人の立ち位置から見えない良さが浮かび上がってくるのが面白い。俺達は、日本文化にもっと誇りを持っていいのだ!
No pain , no gain !

注1) こっちでエージェントというと、プロダクションのマネージャーのことを指します。
注2) ブルックちゃんは、サムライ アクションのマネージャーで、日本にきたら驚く金髪美女です。いつもハグで迎えてくれるので、つきあい上手だなあっと、関心するやらニコニコするやら、困ったもんだ。

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2007年3月13日 (火)

ひぇ~!アカデミー賞の仕事を逃す!!

 ハリウッドは狭い世界で、ちょっとのことで、名前が売れて、良い仕事がくることが多いんだよね。ハリウッド版「仮面ライダー」をやっていた頃、丁度休みが取れて日本に一時帰国していた時、帰国しなかったワイフ(注1)から国際電話で、

「なんか他のプロダクションから電話があったから、電話してみてー。」

と言うから、日本から電話してみると、ライダーのプロダクションを辞めたクルーからで、あさってスタントの仕事があるから来てほしいという。その日は歯医者の予約を入れていて、帰れないので何の気なしに断った。次の週アメリカに帰って、アメ人スタントマン達を話をすると、

「僕、MICHIさんの変わりにやらせてもらいました。」
「何の仕事だった?」
「アカデミー賞のスタントでしたね~」
「えっ・?」
「・・・・・・。」
「ア、 アカデミ~賞ぉぉおおお・・・・?!」

なんと、頼まれたスタントは、アカデミー賞のオープニングフィルムでのスタントコーディネーターだったのだ。

「言ってくれれば、キャンセルして帰ったのに!!」

 他のスタントマンが栄誉あるアカデミー賞のスタントコーディネーターをしていたころ、俺は間抜けに口をあんぐりとあけて、「虫歯治しときますねー」「お願いしまッス!」などと、虫歯治療に専念していたのだ。この仕事をしていたら、鼻高々で皆に吹聴できたのだが、とメチャメチャ落ち込んだのだ。でも逆に

「アカデミーの舞台で、サムライアクションのデモをやるぞぉおお!!」

と、心に誓う今日この頃なのだ!!夢は叶う!!

No pain, no gain

注1)ちなみに俺のワイフは日本人です。あしからず ;)

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2007年3月12日 (月)

膝の痛みと大野剣友会魂

「バン!」
この間、バック転を切って、ジャンプキックの連続技をショーの練習で続けていた時、鈍い音と共に、鋭い痛みが走った。

 「痛っって・・・!!!」

大したことはないと、休まず続けてしまってから、痛みがずっと抜けなくなった。医者に行くとジャンパー膝ということで、安静して2週間すれば直るということだが、休める暇がなく鈍痛が抜けることがない。インターネットによると、癖になりやすく完治は6ヶ月は必要と書いてある。

「そんな休んでられね~よ!」

Flip

 そんな訳で、痛みと付き合いながら蹴りや空中殺法を続けている。大野剣友会時代では、ほとんど怪我はしなかった。「気合いが抜けたら怪我をする。緊張していれば酷い怪我をしないものだ」と大野会長が言っていた言葉だ。そんな男くさい集団だったから、 ヒーロー物の着ぐるみに入る時にニーパッドなどを入れることが、絶対に許されなかった。“それがヒーローを演じる男のプライドなのだ!!”と、言っているような気がして

「か、かっこええ~」(な、涙・・)

 事実、危険度の高いアクションシーンでは、絶対怪我はしない。むしろ、ちょっとした所から飛び降りたりすると、つまらない捻挫をするんだよね。
 そうはいっても、一旦した怪我はやっぱり休まないとなおらない。こんな時こそショッカー(注1)に改造手術してほしい~。手軽な治療法があったら、誰か教えてください・・・。

No pain, no gain!

注1)ショッカーとは、本郷猛を仮面ライダーに改造した悪の秘密結社なのだ!皆知ってるかああ?!

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2007年3月11日 (日)

厳しかったビバリーヒルズのステージショー

 本日のLAは快晴。熱くもなく、寒くもない最高の気候で、今日はサムライアクションのステージショーがビバリーヒルズであった。俺が担当するビバリーヒルズ学校区が、是非パフォーマンスしてくれというので、呼ばれていってみると、こんな感じのホンワカムードで、Beverlyhills


「ええ~!」

 ステージも小さくて、空中殺法もできずかなりエナジーが落ちる・・・。更に観客席も少なくて、盛り上げようにもなかなか盛り上げられない。今日は仕事の関係で友作先生も出演できず、下がるボルテージを無理やり上げようとアクションしたが、音響システムも小さくて、ボルテージは下がりまくり。それでも、観客を乗せないといけないとやってみたけれど、盛り上がりのエナジーが低くて、厳しかった。
4月1日には、ダウンタウンのリトル東京で、大きなステージがあるので、「こんな状況では、見せられねーよ。もっと厳しくならないとオーディションどこじゃない」と、大反省。
昔の大野剣友会は本当に厳しくて、器の大小は関係ない。少しでも気合いを抜くと、「お前、何やってんだよ!」と、ローキックが入ったものだ。アメリカでそんなことしたら、訴えられちゃうけど、その「何やってんだ!」っていう気合いが、人の心に何かを訴えたんだと思う。

心のない武芸アクションは、ただの踊りになってしまう。ああ、反省。

No pain, no gain!

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2007年3月10日 (土)

2000アクセスありがとう!嬉しいけど悔しい土曜日

Michinunchuck
ブログ開いてやっと一ヶ月ちょっと。それなのに2000回も皆さんにアクセスしてもらって、嬉しい限りです。始めた時は、読んでもらえるかなあと思っていたけれど、意外と「読んでるよ~」と言う声をミクシーなんかで聞いて、楽しく書いてます。
 今日のロスは晴れ。丁度良い気候で、過ごしやすいけれど、土曜日は運営するサムライ・スタジオのクラスがびっしりで、死にそうになりながら、武芸アクションカラテを必死で啓蒙してます。
また、来週にハリウッド映画のアフレコが入っていて「うっしゃ~!」っと喜んでいたのだが、日本のコマーシャル出演にも受かって「おっしゃ~」と更に喜んだ。それなのに、それなのに撮影日が同じ!

「マジすか~!?」

スケジュールを変えようにも変えられず、日本のコマーシャルを断念・・・。両方とも米国俳優協会の質の高い仕事だったので、悔しすぎて泣きそう。
 「くそ~、サムライ アクションの、名を上げてもっと大きな仕事をとってやる!」と誓った一日だった。そんな訳で、今日はたいしたストーリーがなかったが、2000アクセス記念ということで、アクション大公開と、かこつけえてもいいっすよね。メインアクションは昨年(2006年)12月にユニバーサルスタジオハリウッドで行ったステージアクションです。
 MICHIアクション劇場パート2、始まり始まり~!
No pain, no gain !

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2007年3月 9日 (金)

質感すごい、村枝ライダー

今日のロスは曇り空。今週から夏時間といって、1時間早くなるので、体調を整えるのが面倒といえば面倒なのだ。今週日曜日はビバリーヒルズのタウンフェストで、サムライアクションのキッズグループがパフォーマンスなので、天気が気になります。
 さて、最近ミクシーを始めたんだけど、旧友&業界人、いるわいるわ。そのコミュニティーに「仮面ライダーSpirits」があるので、即参加。俺はとーぜん村枝賢一先生の書く村枝ライダーの大ファンです。好きな所を上げればキリがないけど、ズバリ言って全部好きなのだ。とりあえずアクションBAKAの範疇では、ライダー衣装のディティールが強烈!
 一号、二号ライダーの面を固定する顎のゴム止め。覗き穴のビス止めの描き込み。中でも「うわ~っ」と驚いたのが、一号、2号のムネ筋の下にある、型を取る時の穴まであるじゃん!思わず自分の持っているライダー本を開いて確認してしまった。(俺もヲタ、入っている。)
 大野剣友会に入門し、本物の初代ライダーの仮面を見た時、神々しい感じがして「これで本当に変身できるんだあ」と身震いしたことを思い出す。仮面はFRP樹脂製で、赤い目が垂れていて、何かを語りかけている様に見えるから不思議なのだ。被ると大きくてかなり重い。その重みと存在感が、正に村枝先生の描く「ライダーspritits」に滲み出ているのだ。
 今は亡き原作者石ノ森章太郎先生がこだわったドクロ。そこからデザインが始まったライダーの仮面。人間の最後に残るその形が、俺達の胸に響いてくるのかもしれないね。

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2007年3月 8日 (木)

アーツアクター出身の人気者、「オースティン・パワーズ」のバーン・トロヤー

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ここで、面白い人を紹介したい。日本ではありえない、ミジェット俳優のバーン・トロヤーだ。バーンは小人俳優として、コマーシャルやら、映画やらに出ていたのだが、「オースティン・パワーズ・ゴールドメンバー」のミニ・ミー役のオーディションに受かり、世界一有名なミジェットアクターとなった。米版「仮面ライダー」にファーバスという、小さな犬のようなマスコットがでているのだが、実はそのスーツアクターも彼だったのだ。俺は当時セカンド・ユニットの監督で、着ぐるみ俳優の演技も全て任されていたのだが、バーンの動きには目を見張るものがあった。小さな体と短い手足を軽やかに振りながら、役柄の言わんとする意味を体一杯で表現していた。それになんといっても我慢強い。全身毛むくじゃらの衣装だからかなり熱いのだが、何回リテイクしても、「I’m OK」といって、衣装をとらないで、撮影をスムーズに終わらせようとする。
 一度、彼のスケジュールが合わず、他のミジェット俳優にやってもらったのだが動きに面白味がなくて「ああ、こんなに違うんだあ」と、バーンの演技力に改めて気がついた。そんな彼が人気者になったのも、他人を気遣う人柄と演技力が認められたのだと思う。
 スタッフの1人が「体が小さくて体力がないのに、あんなに頑張ってたら長生きできないよね」とぽつりと言うと、他のスタッフが「彼は、夢の中で一生懸命生きてるんだから、人生の長さは関係ないよ」と言っていた。気ぐるみを脱いだ時のバーンの額の汗は、伊達じゃなかった。

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2007年3月 7日 (水)

なんでこいつが俺達の監督なんだ?!アメリカ人との摩擦と克服

Staff2
アメリカのアクション監督というのは、スタントコーディネーターといって、スタントマンの手配、スケジュール調整、アクションの構成全てを任される。更に、セカンドユニットディレクターという役割を担い、芝居部分を撮るファーストユニットでとりきれなかった演出部分を撮ることもある。日本でいう助監の小物撮り+撮りきれないメインシーンまで任される。
当初、言葉わかんない、特殊用語わかんない。アメリカの撮り方のシステムわかんないとアクションはともかく、わかんないずくめだった俺は、米版「仮面ライダー」のセカンドユニットディレクターまで任された。プロデューサーのボブは俺のアクションとアクション演技をほしがって雇ったのだから、他のことは現場スタッフがカバーすればいいだろうという判断。そのことは周りには伝わっていたのだが、最初の頃は、とにかくスタッフと馬が合わなかった。2週間で3本撮るTVスケジュールに追われるスタッフのプレッシャーは今になってわかるが、しょ~もないショットで「グレイト!」とか、言って進める姿勢に、割って入る俺を煙たがった。子供番組だから、このぐらいいでいいか的態度も気に入らなかったし、何よりあがったフィルムが最悪で、マジ切れしそうだった。「ライダーのショットはそうじゃない!」という、ジャパニーズスタイルを入れようとすると、周りがこぞって反対し、「そんな、短いショットじゃだめだ。」「なんで、そこでこだわるんだ。お前見たいにつきあいずらい奴はいない」などと言われ(今思えばそういう意味合いだったのがわかるが・・)、アクションも自由にできない現場に参ってしまい、胃カメラ検査を受けるストレス蓄積ぶりだった。毎日、毎日弾き飛ばされる日々。それでも、仮面ライダーの衣装を付けると、「この国でライダー魂を守れるのは俺しかいない!」と其の時だけは、苦しいことを忘れて、ライダーアクションに没頭できた。
そうこうしている内に「なるほど、こんな風に撮影するスケジュールを決めるのか」とか、「誰と誰に指示を出せばこうなる」という撮影システムがわかってきた。毎日12時間以上、英語だけの現場に入れば、言葉も流暢になってくるし、アメリカ人への対応も分かってくる。自分が選んだアメリカ人スタントマンが俺のアクション能力をリスペクトしてくれて、味方についてくれたのは心強かった。
 当時俺は29歳で、吸収力も早かったのだろう。3ヶ月ほどたつと、アクション馬鹿の気の強さで自己主張ができるようになり、「ここは、こうするんだ、馬鹿やろう!(とは言わなかったが、気分はそうだった)」ってな感じで、現場を自分のペースに持ち込んで演出できるようになった。もともと東映の早撮りを経験していたので、皆が「無理だろ~」というスケジュールもこなす早撮りで、感心されたこともある。
 すると、周りの評価も変わっていき、スタッフとも仲良くなれて、「出来る奴は、どんな人種でも評価してくれるんだなあ」とアメリカ人の太っ腹に関心した。そんな訳で皆と打ち解けて、覗けばカメラアングルの分かる「マイクロファインダー」を誕生日にプレゼントされた時は、仲間と認められた気がして嬉しかったなあ。
 物作りは人種も超える。そんなことをアメリカ人スタッフから教わった。

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2007年3月 6日 (火)

これが、アクションBAKAだ!

 ブログを訪れてくれる皆さんも、そろそろ「Michi Yamatoってどんなアクションするんだろう?」と思っているかもしれないと思い、今回はYou-tubeに先日アップした、アクションクリップを見て頂ければと思います。
 アクション監督をした米版「ビーファイター」のアクション監督シーンやら、自分の刀アクション、舞台でのアクション、空中殺法まで、日本、ハリウッド問わず、盛りだくさんに入れたつもりです。そうそう、三池崇監督の東宝映画「漂流街」でのヘリコプター二人落ち、アクション監督編も入っていて、これは世界初の二人ヘリ落っこちスタントだと思います。今日は理屈抜きで、映像アクションをお楽しみください。それでは、MICHI YAMATO劇場の始まり始まり~!

 感想、コメント待ってます。

No pain, no gain!

PS今年の6月までにニューアクションをつくり、エージェントを通じてオーディションに向かう予定です。今年はアクションクリップ映画もつくるぞ!

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2007年3月 5日 (月)

女王、女王、女王!義理堅き、特撮の味方!鈴木美潮さん

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最近、友達に進められてミクシーを始めたが、いるいる、旧友とか元仕事仲間とかが、ワンサと見つかって驚いた。「ネットって凄いなあ~」と思っていたら、今や特撮ファンには外せないお茶の間の人気者、鈴木美潮さんを発見したのだ!
 美潮さんとは、ウン十年前(ゴメン)の愛らしき高校時代、お互い師と仰ぐ、仮面ライダーのプロデューサー、平山亨さんを介して知り合った。平山さんのところに遊びにいくと、そこには瞳の大きな長髪の女子高生がいて、「特撮ファンにも、可愛い女の子がいるんだあっ!」と驚いた記憶がある。彼女は、しばらくして海外留学で日本を離れ、帰って来た時には、青い目の友達を東映の大泉撮影所に連れていて、「うわー、外人だ~」とまたまた驚いた。
 俺が、アメリカでアクション監督を始めていたら頃、美潮さんは読売新聞社に入社し、スーパーエリート街道まっしぐら。仮面ライダーの「人間の自由を守る!」精神を心に刻んだまま、政治記者になり、更には特撮界を盛り上げる特撮クイーンになってしまった。一時帰国した時にテレビをつければ、番組のコメンテイターになっていて、「あらぁ、美潮さんじゃん!」ともう一回驚いた。
 彼女はとても義理堅い女性で、俺が一時帰国でお互い時間が取れない中、ご飯でも食べようと約束した。マスコミに身を置く忙しい彼女は、別件の会合があって、既に千鳥足。でも、「ども~」とニッコリやって来て、明日があるのに夜遅くまで、気丈に交友を暖めてくれた。また、彼女の仮面ライダーへの思いは熱く、「留学時代の寂しかった時に、ライダーのビデオを見て励まされた」と言っては、様々な特撮、ヒーローイベントを開催している。そしてなかなか日の当たらない裏方のスタッフや、アクション俳優を取り上げて、特撮界を盛り立ててくれるのだ。そこにも、彼女の恩返しの義理堅さが読み取れて、なんだか嬉しい。今や有名人の彼女の一言は影響力があるから、一アクション俳優としても、本当に在り難い限りだ。
 俺は、少年時代に仮面ライダーに励まされてアクション俳優になり、ライダーの武芸アクションをアメリカで啓蒙することを人生のテーマにしている。考えてみれば、日本の高度成長期に見せられた熱いライダーアクション魂が、自分をここまで育ててくれた。日本の文化を担ったその武芸アクションを海外で伝えることも、アクション馬鹿なりの恩返しかなと思ったりもしている。
 そんなことを思い出させてくれる鈴木美潮さん。これからも、俺達のクイーンでいてください!何気なくDonna も見て応援してますよ。
No pain, no gain!

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2007年3月 4日 (日)

セタアアァプ! 血がたぎる、仮面ライダーソング

「セタップ!セタップ!セタップ!」広大なアメリカ大陸でこんなミュージックを車で鳴らすのは、俺様しかいない!と悦に浸りながら、仮面ライダーの音楽に浸る時がある。
 ヒーロー音楽と日本のヒーローショーは切っても切れないものだ。なんせ、ステージショーがある時は、観客を飽きさせないために、開演前にヒーロー番組の音楽をかけっぱなしにする。なんたって主題歌からエンディングまで、アップテンポで叫び系のノリだから、いやがおうにもアドレナリンは急上昇。こっちはそれ系の音楽を待ち時間を含めて一日中聞かされるから、興奮状態で盛り上がりぱなしだ。
 ショー本番直前は、観客の熱気だけでも緊張状態なのに、ノリノリヒーローソングがガンガンかかって、興奮モードは最高調! 「お願いします!」というスタッフの声で、全員で「お願いします!」と気合一発、バトルモードでアクションシーンに入るのだ。
 今でも落ち込んだ時は、ヒーローソングをガンガン車の中でかけて、自分を励ましたりする。そうそう、この間こんな映像をみつけたので、一見あれ。ライダーは熱いぜ、アニキ!観客もカメラアングルまで熱い!ブルーな時は、元気なれる!「セッタプ!」

No pain, no gain!

そういえば、この間、世界で活躍する人っていうんで、大阪FMの落合健太郎さんの「Morning Jack」に出演させて頂いた。10分でこの世界を紹介するんだけど、あったというまで、100分の1も話せなかったなあ。アクションって深い。

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2007年3月 3日 (土)

蜘蛛男からの手紙、岡田勝師匠

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 大野剣友会の殺陣師、岡田勝代表。仮面ライダー第一話、「怪奇蜘蛛男」の蜘蛛男を演じた伝説の人で、俺の直接の師匠だ。岡田師匠と出会ったのは、かれこれ25年前。自作の「仮面ライダー」8ミリ映画を東映に持っていった時だ。この時、平山亨、阿部征二プロデューサーと一緒に見てくれた。雑誌でお顔は拝見していたので、「この人がライダーのアクションを作っている人かああああ!」と思いっきり心の中で叫んでしまった。上映会が終わった後、すぐさま岡田師匠の所に行って、「練習、見にいきたいんですけど」「おう、来いよ」ってな感じで、練習に行き、前のブログに書いたとおりに入会した。
見た目は完璧にO△Xなのだが、内面は非常にナイーブでシャイな人だ。俺は5年目で剣友会を退会したが、その後も俺が変わったことをすると、「頑張れよ!二人でグレードがあがったら、また一緒に仕事をすればいいだろ」と太っ腹でお付き合いをさせてくれた。
 その後、俺は日本のアクションを啓蒙するために、アメリカに旅立つ。数年後にハリウッド版「仮面ライダー」のアクション監督になる訳だが、其の時に嬉しくて、日本でお世話になった皆さんに手紙を出した。
 すぐに返事をくれたのが、岡田師匠と元石森プロのマネージャーだった。岡田師匠は「外国で頑張った。でも大変だったんだろうなあ」と励ましと癒しの言葉を綴ってくれた。「外国なんてわかんねーよ」と苦手にしていて、封筒に書かれたアメリカの住所も身内が書いたのが分かった。それでも手紙を書いてくれたその気持ちがとても嬉しかった。つらかったアメリカでの生活を師匠が評価してくれた。思わず涙したのを思い出す。今でも帰国すれば、一緒に食事をさせて頂いている。
 いつかご恩返しができればと、ハリウッド映画「SHOGUN COP」では日本側のアクション監督をお願いした。仮面ライダーの奇跡の舞台と言われている「戦闘員日記」では、俺はエグゼクティブプロデューサーをやらせて頂いた。
 大野剣友会はヒーロー物から、撤退してしまったけれど、いつかまた味のあるヒーローアクションを見せてほしいと願っている。

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2007年3月 2日 (金)

声優でもアクション馬鹿、「硫黄島」のアテレコ

俺はハリウッドのエージェントで、映画、テレビ、雑誌、コマーシャル、アクションの振付師の全てに所属していうるのだが、フリーで入ってくる仕事もある。それが、声優の仕事だ。昨年は日本を扱った映画が多く、「バベル」「硫黄島」「オーシャン13」「ワイルドスピード3」とその全てに俳優、声優として参加した。
 外国人の声優を探すハリウッド伝説のキャスティングディレクター、バーバラは、俺のことを「リトルバード」とかいって、気に入ってくれて呼んでくれる。仕事の内容は、アジア人俳優の怪しげな日本語にアテレコし、正式な日本語発音に直すのだ。其の他にもスタントシーンのアテレコもある。もう上映中だから解禁するけれど、「硫黄島」では、日本兵が上から火炎銃を浴びせられ、悲鳴を上げながら死ぬという洞窟のシーンがあるのだが、これがまた大変だった。ここに悲鳴を当てたのだが、炎にまみれる人間がどこまで悲鳴をあげるかとか、手の動きと悲鳴のトーンがあってないとか、演技指導がメチャ厳しい!ここで事切れてるので0.5秒悲鳴を短くしよう!とかすっごいこだわるのだ。
それこそ「ギャ~ッ!」とか「ウウッ~ッ」とか何回も言いながら、「ウォ~ッッ」にしようとか「うぅ、ウゥ」それがいい!とか、大の大人があ~でもない、こ~でもないと、たかが5秒のシーンに熱くなる。はたからみたら、大笑いの光景でも、本人達は大真面目なのだ。何回もやるとさすがに喉が痛くなるのだが、奴らは褒め方も上手で、「ザッツグレイト!」「レッツゴー、ワンモアタイム!」とか言われると、こっちも乗ってヤレちゃうから不思議だ。
終わったら結構消耗したが、今日は声でもアクション馬鹿したなと一人笑ってしまったのだ。

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2007年3月 1日 (木)

仮面ライダーが泣いている!3キロダイエットの壮絶なライダーアクション

大野剣友会に入会した時は16歳、高校生だった俺は、岡田勝師匠に「東映で仕事だ!」といわれ、「ロボット8ちゃん」という「ロボコン」のスピンオフの番組に出演した。演じるキャラクターは、テレコミーという、電話のロボット役で漫画家の石ノ森章太郎先生のデザインした電話キャラだ。電話ボックスに手足の生えたような着ぐるみで、かなりの重量がある。台詞も2、3行あって、それにあわせてボディーラングウエッジ。初めての台詞だったので、緊張しながら練習し、気ぐるみを着て本番。大げさな動きで台詞をいって、右手を上げるとザッと大量の水が腕にかかってくるのがわかった。
 撮影が終わって着ぐるみを脱ぐと、なんとそれは自分の汗(!)だったのだ。セットでの撮影で、熱いライトを当てられ、シーンが終わるまで着ぐるみははずせない。腕、足などはラテックス性でできていて密閉されているので、体からの皮膚呼吸が汗となって手先にたまり、手を上げた瞬間にザバッっと落ちてきたという訳だ。これには体力充分の16歳高校生もくたくたになり、家に帰って体重計に乗ったら3キロ落ちていた。この3キロというのは、人間の水分量なのか、次の日には必ず体重が元に戻る。
 そんな激務でびっくりしていたら、岡田師匠がこんな話をしてくれた。アクションステージショーの後は、決まってサイン会があるのだが、大ブ―ムだったライダー1号の時は、観客が多すぎて、いくらサインしても終わらない。すると突然子供が「ママ、仮面ライダーが泣いてるよ!」と叫んでライダーの目を指差した。するとライダーの目の下から本当に涙が出ていたのだ。それは視界を確保する除き穴から伝って落ちたアクション俳優の汗だったのだ!
 ひえ~!っと思ったのだが、其の後仮面ライダーストロンガーの衣装をつけてサインをした時に、その気分を味わうことになる・・・。ライダーの衣装は立ってるだけでもキツイのかあ!

P.S.週刊ゴングの廃刊はガゼのようで、情報というのは本当に恐ろしいことを痛感です。早とちり申し訳ありませんでした。しかし、まだ生き残ってくれるというのは嬉しい限りです。

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