刻々と近づくチャンス・・。-スーツアクターと言う言葉 その⑥
仮面ライダーの本当の正体を知った俺は中学生。新しい学校で迎えた同級生に、当時山口百恵、桜田淳子、森昌子主演映画「花の高2トリオ」などの脚本家で著名な才賀明(注1)氏のご子息がいた。この彼が才賀博之氏(注2)で、大河ドラマにも台詞ありで出演もしていて、芸達者な奴なのだ。彼が、あの頃高級品に入る8ミリカメラを持っていて、親友の寺田クンと
「8ミリで映画を撮ろう!」
と言い始め、その題材はあの、
柔道一直線(注3)!!
友達に柔道ができる奴がいて、ほとんど決まりかけていたが、その話を聞きつけた俺は、
「いや、仮面ライダーにしよう!」
「ええ!!できないよ。衣装とか仮面どうすんだよ?」
「俺が、つくる!」
生身のライダーの正体を知った俺は、これは自分が映像の中でライダーになれるチャンス!と思い、思わず口走ってしまった。でも、つぎはぎフルフェイスマスクを作った経験から、何とかなると思い、バンダイの子会社、ポビー(注4)が販売していた、ライダーとV3のマスクを改造。衣装はジャージに発泡スチロールで作ったコンバーターラング(注5)とベルトを着けて完成させた。衣装を見た友人達は出来の良さに驚いて、やる気満々。ライダーアクションはもちろん見よう見まね。俺は、球技や50メーター走なんかはからっきしダメだったけれど、蹴りやらパンチやらはなぜか得意で、足も高く上がった。上がりゃ良いってもんじゃないのは、後年わかるようになるのだが・・・。
祖母が持っていた東京青梅市にある御岳山の別荘に泊り込みでの撮影。あたりは山に囲まれた川原で、正にライダーにでてくる地獄河原ってな様相だった。中学生にできる最大の努力をして映像上で夢の仮面ライダーになり、一本目が完成。それが友達の間で話題になり、クラスメートの父親が毎日新聞の記者をしていて毎日中学生新聞にデカデカと写真入りでとりあげられた。気を良くした俺らが、1年半の準備をして、今度作った作品が「ダブルライダーVSショッカー」。ダブルライダーが二人の怪人を倒すというストーリーで寺田くんは一号ライダー、俺が2号ライダーを演じ、才賀氏は怪人製作と怪人を演じる。監督、脚本、編集は俺が担当した。
この作品が完成した段階で、弟が購読していた徳間書店TV雑誌「テレビランド」(注6)に、手製の着ぐるみライダーの写真を郵送した。これを見た編集部が面白がって取材にきて、会員だけに郵送している「仮面ライダー新聞」で大きく取り上げてくれた。その後、編集部から連絡があり
「編集長が興味があるって言ってるから、徳間書店で上映会やってくれない?」
雑誌社の編集部といえば、高校生としては憧れの場所だ。勇んで持っていくと、そこには山平松生編集長(注7)がいて、
「こりゃ、面白い!今スカイライダーの製作してるから、東映に持ってって、刺激与えて来い!」
俺達は、理解できずに
「はあ・・・?」
「仮面ライダー作ってる東映に持ってって見せに行くんだよ。お前らの8ミリライダー。プロデューサーの平山亨と阿部征二ってのがいるから、見せたらいい!」
「ええぇ!!」
俺の頭には、朝日ソノラマの「仮面ライダー総集版」でお二人の名前はインプット済みだったから、
「仮面ライダー作ってる人に会えるの?→撮影所にもいける?!→大野剣友会の人達にも会える!→マジかよ~!!」
頭の中は興奮で爆発しそうだった!
そして、本物の「仮面ライダー」の現場に、近づいていく・・。
(To be continued)
注1) 才賀企画という芸能プロダクションも持ち、大竹しのぶ、三宅裕二、川上麻衣子などを育てた。
注2) 劇団メガバックスの主宰、演出家。仮面ライダーの奇跡の復活と言われる舞台「戦闘員日記」の脚本家。この芝居は大野剣友会の岡田勝師匠が演出。平山亨プロデューサーが監修し、出演は一文字隼人を演じた佐々木剛氏、ドクトルGの千羽丈太郎がその役を演じて話題となった。ちなみに俺は、第2弾からエグゼクティブプロで参加している。
注3) 桜木健一主演、ガールフレンドに吉沢京子。そして桜木を扱く師匠に先ほど亡くなられた高松英郎が出演。技闘は大野剣友会!プロデューサーは「仮面ライダー」の平山亨氏だった。この作品の中で桜木氏は、仮面ライダー2号、一文字隼人の変身ポーズで構えで闘っている。この型は、剣友会2代目殺陣師、高橋一俊氏が二刀流をイメージして作ったもの。変身ポーズの原型は「柔道一直線」で完成していた!!ちなみに原作は、劇画界の巨匠、梶原一騎で、元は東京ムービーがアニメ企画として獲得していた。
注4) キャラクタービジネスで、大成功を収めたバンダイの子会社。後に会長にまで上り詰めた杉浦幸昌氏が社長を務めた。変身ベルト、マジンガーZの巨大人形、ジャンボマシンダー、超合金を開発し、ヒーローブームを側面から支えた。
注5) コンバーターラングとは、仮面ライダーの胸についている、板上の物。原作者の石ノ森章太郎先生はバッタの胸筋をデザイン化したものだが、当時その造形物を見た現場は、ダンボールをくっつけたみたいじゃんっと、不評だったそうだ。
注6) 70年代を中心に、講談社のテレビマガジン、小学館のてれびくん、徳間書店のテレビランドがTVキャラ雑誌としてしのぎを削っていた。97年に廃刊。
注7) 山平氏は東映側と深いパイプを持っていた。当時、仮面ライダーは「スカイライダー」放映の真っ只中。視聴率が今ひとつ振るわなかったこともあり、高校生の俺らが仮面ライダーを8ミリで製作していることに感心して、この業界に導いてくれた。
No pain, on gain!