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2007年3月 3日 (土)

蜘蛛男からの手紙、岡田勝師匠

Michiokadasan1
 大野剣友会の殺陣師、岡田勝代表。仮面ライダー第一話、「怪奇蜘蛛男」の蜘蛛男を演じた伝説の人で、俺の直接の師匠だ。岡田師匠と出会ったのは、かれこれ25年前。自作の「仮面ライダー」8ミリ映画を東映に持っていった時だ。この時、平山亨、阿部征二プロデューサーと一緒に見てくれた。雑誌でお顔は拝見していたので、「この人がライダーのアクションを作っている人かああああ!」と思いっきり心の中で叫んでしまった。上映会が終わった後、すぐさま岡田師匠の所に行って、「練習、見にいきたいんですけど」「おう、来いよ」ってな感じで、練習に行き、前のブログに書いたとおりに入会した。
見た目は完璧にO△Xなのだが、内面は非常にナイーブでシャイな人だ。俺は5年目で剣友会を退会したが、その後も俺が変わったことをすると、「頑張れよ!二人でグレードがあがったら、また一緒に仕事をすればいいだろ」と太っ腹でお付き合いをさせてくれた。
 その後、俺は日本のアクションを啓蒙するために、アメリカに旅立つ。数年後にハリウッド版「仮面ライダー」のアクション監督になる訳だが、其の時に嬉しくて、日本でお世話になった皆さんに手紙を出した。
 すぐに返事をくれたのが、岡田師匠と元石森プロのマネージャーだった。岡田師匠は「外国で頑張った。でも大変だったんだろうなあ」と励ましと癒しの言葉を綴ってくれた。「外国なんてわかんねーよ」と苦手にしていて、封筒に書かれたアメリカの住所も身内が書いたのが分かった。それでも手紙を書いてくれたその気持ちがとても嬉しかった。つらかったアメリカでの生活を師匠が評価してくれた。思わず涙したのを思い出す。今でも帰国すれば、一緒に食事をさせて頂いている。
 いつかご恩返しができればと、ハリウッド映画「SHOGUN COP」では日本側のアクション監督をお願いした。仮面ライダーの奇跡の舞台と言われている「戦闘員日記」では、俺はエグゼクティブプロデューサーをやらせて頂いた。
 大野剣友会はヒーロー物から、撤退してしまったけれど、いつかまた味のあるヒーローアクションを見せてほしいと願っている。

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